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山口・島根編 第一回 平成九年四月八日〜十日
私は自転車に乗れないのです。そんな私が子供の頃に描いた「夢」を実現するきっかけは図書館で見つけた一冊の本でした。賀曽利隆さん著書『50CCバイク日本一周旅』。
この本が私の人生を思い切り変えてくれました。
読んでいるあいだ中、一緒にバイクで走っている興奮を覚えました。
読み終えてすぐ「バイク屋」さんに行き、「バイクに乗りたいのでどうすればよいか?」と尋ねると「免許がなければ売ることが出来ない」と言うのです。
自転車にも乗ったことの無い私が生まれて初めてバイクに乗り、練習場は別府競輪の駐車場。国道十号線をいったいいつになったら走れるかしら?と思った日が平成五年でした。
私は自分で定年を決めていました。
お金を稼ぐだけの仕事は一応「五十歳」でやめる。
そして、まず手始めに「日本一周」をする。
でもいったいどうやって「する」?
鈍行列車?松尾芭蕉や山頭火のように歩いて行く?どっちも今の私には無理。
そうだ!原付バイクがあるじゃない!!
毎日地図とにらめっこしながら計画を練る日々。
さー私は五十歳になり「カウントダウンの鐘」が鳴りました。
平成九年四月八日天気快晴。
六時半にスタート。
別府湾から朝日が昇るのを眺め国道十号を快走。
国東港に到着してフェリーの運賃表に「原付」とあり安心しました。
徳山港に到着して目指すは「山口県立図書館」。
なぜ図書館なのか?実は私は旅に出る前「自費出版」の本を三冊作成したのです。
せっかく本を出版したのだからどのようにするのがよいか?と思いついたのが「図書館」に「寄贈」することでした。私が自分で「郵便屋」さんになろうと思ったのです。
右に行くのか左に行くのかさっぱり検討がつきませんが、バイクのよさは人に尋ねることがとても容易に出来ることでした。
国道九号を山口県に向かって走る。
30キロのスピードで走ると周りをとても良く見ることが出来ることに気がつきました。
特別苦労することなく山口県立図書館に到着。
トイレの鏡に写る私の顔は排気ガスのすすで真っ黒けで「ギョ!」としましたが洗面所でじゃぶじゃぶと顔を洗い「口紅」だけを引いて、いざ館内に。
ここでも特別苦労なく、館長さんが心よく応対してくださり、最初の目標は達成できました。
今日の宿は「津和野ユース」と決めていました。
予約などしていません。
予定通りたどり着くかどうか自信がないのですから・・
でもこのユースもなんの苦労もなく到着しました。
翌日も快晴で目標は「出雲大社」のユースです。
なにしろ国道九号線をただひたすら前に向かって走るのです。
日本海を眺めながら快適。
「ゆうひライン石見」でお昼。
その時雲ゆきがおかしくなり雨がパラついて来た。
バイクの荷台には母の写真を乗せていました。
この写真を空に向け「お願い!雨をふらせないで!」と念じると「空」は明るくなりました。
快適に走り真っ赤な夕日に見送られながら「出雲のユース」に到着。
翌日早朝に「出雲大社」に安全を祈念して目的の「島根県立図書館」に到着。
この旅の一番の難題はバイクを一ケ月放置しなければならないことでした。
一年間でいかに「日本一周」することが出来るか?と考えたのです。
仕事の合間を上手に休み、天気予報に合わせながら、暦の休日の数が私が許した目標行動予定日数です。
この四月は仕事を二日しか休まずにすみました。
「松江駅」の駅員さんに事情を説明し駐輪場に置かせてくださいとお願いしたのですが、「ケンもホロロ」に無視をされ途方にくれ、挫折してしまいそうになりました。
母の写真を抱きしめた後、駅前をゆっくり走っていると駐車場専用の大きな建物がありました。「ご用の方はこの電話に」とあったので事情を電話口で話すと「責任は持ちませんがそこに置いていいです」と言ってくださいました。
なにはさておきバイクは駐輪場に待機することが出来ました。松江を十三時五分発「いそかぜ号」に飛び乗り、別府二十時三分着。
一回目の旅は無事に終えることができました。
*自費出版
「母はモデルさん」
「オーストラリア迷子旅」
「有難うと言われるように云うように」
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