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沖縄・鹿児島・宮崎編 第十回 平成十年二月六日〜十三日
いよいよ沖縄に行くことにした。 平成九年の四月にスタートして毎月出かけていましたが、十一・十二・一月と厳冬の季節と仕事の稼ぎ時のこともあり、この三か月は小休止していました。私のこの原付バイク旅の事を一人のテレビ局の人に話すチャンスに恵まれました。数日後にテレビ局の方から電話をいただき、「ぜひ当局のニュースにしたいのでつぎに行く所と日時を知らせてください」とのことです。私ははたと困りました。なにしろ未知の道を走るのですから、時刻を決めることが一番の難題なのです。一晩考えて名案が浮かびました。沖縄ならば大丈夫だと思いました。一番寒い季節の二月だが沖縄ならば暖かい所なので心配ないと予測いたしました。福岡か鹿児島からのフェリーで沖縄まで行く計画を立てていたのですが、二月の寒い山道を走ることは許されないと考えて無い知恵を絞りました。
まず別府から関西汽船で大阪南港までフェリーに乗り大阪南港から沖縄行のフェリーに乗ることに決めました。これならば間違いなく日時を約束することができるのですから。 これにきめました。
さっそくテレビ局の人に私の行動予定を報告いたしました。テレビ局のネットワークがあるらしく、沖縄放送局と沖縄県立図書館と沖縄ユースまでの私の行動をテレビカメラがとらえてくれる予定でした。いざ出発間際に「当日は名護市長選でテレビ局が忙しく私のことは無理なので申し訳ございませんがキャンセル」との電話をいただきました。
「まー私の人生なんてこんなものよ!」とあきらめながらの沖縄行きスタートをきりました。別府19時発で大阪南港翌日9時着です。 南港から沖縄までのフェリーがあるので、バイクを南港の駐車場に置く。今夜の23時12分までゆっくり時間があるので大阪見物をすることにきめました。天王寺まで電車で行く。タイミングよく美術館で「アンコールワットとクメール美術の1000年展」を見学することができました。時間はゆっくりあるのですが、心は沖縄に翔んでいるので大阪の町にいても落ち着きません。とりあえず南港まで戻ることにいたしました。まだお昼が過ぎたばかりでしたがフェリー乗り場の待合室で過去の行動日記を読んだり書いたり地図を眺めたりして、こんなにゆっくりした時の過ごし方こそ一番大切な時間だったように今になれば思います。 時間はたっぷりあり少し退屈してきたときに事務所の中から一人の男性が出て来ました。「ここから沖縄行きのフェリーが出るのですよね」と尋ねました。「今夜の十一時過ぎですよ」と怪訝そうな表情をされました。なにしろまだ昼日中なんですからね。 その方は沖縄からの食品を配送するトラックの運転手さんでした。私の行動をとても感心してくださりいつのまにかずいぶん長い間お喋りをしていたのです。そんな会話の中に娘さんが「登校拒否で引きこもりで悩んでいるのです」と父親として寂しい表情を浮かべられました。「貴方のパワーを娘に与えてもらえませんか?」といわれ「私のようなものでお役にたつのならば!」とその方のお宅にお邪魔することになりました。三階建ての家で都会ではこのように狭い敷地を有効に建ててあるのだと感心いたしました。お嬢様を紹介され、このように可愛らしい明るい表情の娘さんが引きこもりだなんて私には信じられませんでした。お父様が私を紹介してくださりその娘さんが私の話を目を輝かせて聞いてくださるのです。「こんなに長い時間人の話しを聞くことなんて滅多にないことで貴方のお陰で久振りに娘の生き生きした顔を見ました」ととても喜んでいただけました。
娘さんと熱い握手をして別れいよいよ沖縄に向かうことになります。 船に乗り込んだ後はもう寝るだけです。私は何度か大きな船に乗った経験があるのですが、大きな船程よく揺れた体験があるのですがこの船も揺れるのです。二月の海はしかたがないのでしょうね。オーバーと思われるかもしれませんが、寝ていて体が何度も跳び上がるのです。船酔いもいたします。昼近くまで体がいうことをききません。前途多難な胸騒ぎがするのですが、マーここまできたのだからなんとかなる!と自分に言い聞かせる。沖縄に到着して県立図書館目指して走ります。ここの図書館に到着して「岸川多恵子様歓迎」の大きな建て看板を見ました。嬉しいような恥ずかしいような複雑な心境でした。図書館長がとても歓待してくださりテレビ局から連絡が入っていますのでどうぞご心配なくと慰めの言葉をいただきました。館長さんが館内を案内してくださり、心からお礼を申し上げ図書館を後にいたしました。
喜屋武岬まで走りました。
畑仕事をしている人がノロノロ走る私に向かってどの人もみな“笑顔”で会釈をしてくれるのです。このことが今一番求められているものではないのでしょうか。知らない町で笑顔の会釈!これが観光地で一番嬉しいご馳走だと知らされます。
沖縄のユースはとても立派だ。こんなに高級感のあふれたユースは滅多にないのではないでしょうか。
翌日は万座毛まで行くことにした。 途中で大雨にあってしまい偶然に大きな本屋さんの駐車場に入り込んだ。開店までの時間しかたがないので軒下で雨宿りだ。 通り過ぎる車をじっと眺めながら一人瞑想にふけることができました。
本屋さんが開店してからゆっくりと本を眺めて時間を過ごします。
一冊の本のタイトルに引き寄せられました。「シェルパ斉藤・いきあたりばった旅」
この本に出会うために私はこの雨に会ったのだとこの瞬間に思いました。やはりこの本も私の人生を変えるほどの本でした。外は雨は上がっていて琉球村を見学して万座毛までバイクで走り、万座毛ビーチホテルのレストランに入りカレーライスを注文してほんの少し贅沢な雰囲気を体験いたしました。
ユースに戻り明日の行動を考えてこれからどこに行くか思案していた矢先に携帯電話がなりました。テレビ局の人から「鹿児島の図書館に行くことはできませんか」との電話です。もちろん答えは「OK!」です。翌日那覇港から鹿児島へとまたフェリーの旅です。 鹿児島の港にはテレビカメラの中継車が待機していました。 私の走る姿をマラソン選手を生放送するように中継車が私の前を走ります。鹿児島県立図書館には“アポ”なしの直接交渉です。テレビカメラを引き連れ「図書館長に会いたいのです。」と突然の訪問です。館長さんは一瞬たじろいていたようですが後に別府の私の店に来店してくださり、「館長生活の中で一番印象に残る来客だった」といわれました。その日の夕方に鹿児島のニュースに私が出ていたそうなのです。
現在そのビデオををたまに見ることがあります。
さーこれからは国道10号をただひたすら前に進み宮崎県立図書館を目指します。
特別苦労する事もなく宮崎県立図書館に到着することができました。 今日は宮崎のビジネスホテルに宿を取る。 今になって思うのですが、この二月にこんなに暖かいのは母が私にあまり苦しまなくて良いように天国から舞い降りて私と行動を共にしてくれているのだと思いました。 鹿児島県で私の「バイク旅」がテレビのニュースになるなんて夢を見ているようでした。 翌日も快晴の天気で二月の一番寒い季節の過酷な体験を覚悟の上のはずが快適なバイク旅。 国道10号線をただひたすら前に進み一日で宮崎から別府の町に到着いたしました。
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