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鳥取・福井編 第二回 平成九年五月五日〜八日
遠距離恋愛をしている時?の心境でこの日を迎えました。なにしろ私のバイクは「松江の駅近くの駐輪場」で待機しています。
「ちゃんとバイクは元気?にしてくれているかしら?」と恋しい人(バイク)のことで胸はいっぱいでした。
列車に乗り「過去」のあの日を思いだしました。 信じられますか?私の遠距離恋愛!
出会いは「長崎のユース」でした。
「昨日別府の町をバイクで走ってました!」 「今度別府に来たら私の店(スナック岸)に寄って下さいね。」とたったそれだけの会話だったのです。
その方は世界中を一人で旅をする旅のプロのような方で、旅の途中から「絵葉書」を送ってくださり、いつの日か私の心はこの方に淡い恋心を持ってしまったのです。
「島根県の出雲」にその方は住んでいました。
何回「島根県」に行ったかしら?
岸洋子さんの歌「希望」の歌詞・「隣の席に貴方がいれば・・」と、過ぎ去った遠い昔を思いだし、今、あの日の事が昨日の事のように脳裏に蘇りました。
山陰本線の列車の窓から光る海を眺め胸が「キュン!」と締め付けられました。
「松江の駅」に着いて、一目散に駐輪場に走りました。
ぎゅうぎゅうづめの「自転車」の中に待機はしていましたが、「いったいこのバイクをどうして出せばよいのか?」唖然としてしまいました。
その時です。きっと警備員の方だと思うのですが、無言で自転車を移動して私のバイクを路上に出してくださいました。
きっと長い間「べっぷナンバーのバイク」を気に止めていてくれたのでは?と今になって思うのですが、お礼の言葉もそこそこに、ひと月ぶりに出会った「バイク」は見るも無残な廃車のような姿でした。
駅のトイレでタオルを濡らし、拭きあげると少しづつ「もとの姿」になりました。
いざエンジンをかけるのですが、なかなかかかりません。
「万事休す」の諺が頭の中をよぎり、この時もまた「母の写真」を胸に抱き、「助けてお母さん!」と念じると「エンジン」がかかったのです。
時は午後三時になっていました。
今日の宿は「羽合町のユース」と決めていました。
先日テレビでこの「羽合町」が合併問題で「地名がなくなる?」などと報道していたようですが、私にとっても少し寂しい気がします。
国道9号線に出てしまえばもう「前に進むだけ!」とラッタターと快適に走っていました。
陽が長くなったので七時位まではよかったのですが、あたりが急に暗くなりました。
私は毎日夜道をバイクで走っているため、夜だって「平気」と思い込んでいたのです。 回りは「畔道」のように狭い道路で電信柱の薄明りの電気と私のバイクの電灯では目の前は「真っ暗闇」です。たまに来る車のライトは前からも後ろからも射撃されるような恐怖が私を襲いました。
取り敢えず走るのを止めて押して歩いてみたのです。
そうこうしているうちにやっと「民家らしき明り」が目に飛び込んできました。
ガソリンスタンドに入りガソリンを補給してくれたスタンドマンが、「べっぷナンバー」に驚いて「もしかして将来有名人になる人かも?」ととても私の行動を気に入ってくれ「一緒に写真」を撮りました。
先程までの恐怖が嘘のようにこの「言葉」で救われたのです。
やっと気持ちを切り替え、走っていると交差点の近くに「ホンダのバイク屋」さんがありました。
「ごめんください」と中に入り、「私の行動」の話しをすると、とても親切にいろんな話しを聞かせてくださいました。
今のバイクはとても性能が良いので「何も心配する必要はない!」と明言してくださいました。
目的のユースはすぐ近くだからというので、すっかりバイク屋さんで話し込んでしまい、ユースの門限の九時になってしまいました。 なにはともあれ、宿に辿り着き、お風呂に入り、今日の一日の行動日記を書きあげ床の中に入り、深い眠り就きました。
早朝「鐘楼」の「ゴーン!」という凄い音で跳び起きました。
こんな体験も「旅」の醍醐味のひとつです。 ここもお寺さんなので、お参りをさせていただきました。
草むしりをしている一人の奥様が「貴方は自分では良いことをしているつもりでいるようですが、回りの人のことも考えなければいけませんよ!」と少し不機嫌そうに私に言いました。 私は少しショックを覚えたのですが、「本当にその通りなのだ」と反省しながら、「バイク」を走らせました。
快適この上なしの絶好の五月晴れ。
鳥取砂丘に着き、「オーストラリアのパース」の「ピナクルズ」などを思いだし、「日本にもこんなに素晴らしい砂丘があるのだ」と思っていると一人の若いライダーマンと擦れ違い、また共通するなにかを見つけました。 ニコンのカメラを首にさげていました。
「父の形見なんです」とそっとカメラをなでたのです。
この彼も「旅」に取り憑かれたそうで、全国を「バイク」で回り、アルバイトをしながら移動しているといいます。
砂丘前の喫茶店でコーヒーを飲み束の間の「デート」を楽しみました。
今でもかならず年賀状が届きます。
「今は、どこどこで働いています」
たった一時間ほどの出会いなのにお互いに「一生忘れることのない人同志」
再会を約束して私は「鳥取県立図書館」を目指しました。
何も苦労することなく到着し「館長さん」みずから館内を案内してくださり、もっとゆっくりしていきなさいと言ってくださるのですが、なにしろ次の目的があるのでと心からお礼を申し、前進いたしました。
昨夜の恐怖の体験があるために、今日は明るい内に宿に入ることに決めました。
京都の「久美浜」に着きました。
半日で「鳥取・兵庫・京都」の三県を走ったことになります。
久美浜の駅で宿探しです。
釣り人専門の宿を見つけ泊めてもらえることになりました。
目の前は海で潮の香りがプーンとして「旅心」を満喫することができました。
ほっとしたのも束の間。蚊やら蛾やらが部屋中飛び回っています。
「かえる」も一匹見つけました。
昔の私なら「悲鳴」をあげていたでしょうけれど、今の私は「無事かえる」と縁起がよいほうに解釈をして、「お願いだから私の顔にだけは乗らないでね」と「かえる」に話しかけました。
疲れているせいでしょう、ぐっすり深い眠りに就き、早朝「かえる」を探したのですが、見つけることはできませんでした。
翌日もとても快晴でした。
目的の「福井県立図書館」も特別苦労することなく、到着し「副館長さん」がここでもとても歓待してくださいました。
「永平寺」の道程を尋ね、教えられた通りに走っていたのです。
「原付・自転車。通行不可」と書いてあります。 何人かの人に「永平寺」に行く道を尋ねるとその「通行不可」の道しか教えてくれません。
ここでまた「難所」にぶつかりました。ガソリンもなくなってきました。
今しなければいけないことは「ガソリンスタンド」を探すことと気づき、尋ねると簡単に教えてもらうことが出来、その道の標識に「永平寺」とありました。
またまた永平寺に到着した途端にドラマはありました。
八王子ナンバーの50CCの「カブ」に大きな荷物が乗っている人に出会いました。
写真を撮ってくださいとお願いをし、事情を話すと同じ「ユース」に泊まるのだと言うことで一度に意気投合。
バイクで二人並んでユースに到着しました。
到着後すぐに風呂に入り、パジャマ姿で先程出会ったばかりの人と向かい会いながら、「ビール」で「乾杯」してこんな出会いがあるので一人旅が止められないのよね!ともう次々に話が盛り上がり時のたつのも忘れそうになりました。
翌日早朝の「永平寺」の朝のお勤めの「体験」にその方と二人で出かけました。
若い「運水」さんが、案内してくださり、座禅も体験しました。
ユースに戻り「朝食」を済ませ、「ユースのご主人様」に「バイク」を一ケ月程預かっていただきたいとお願いすると、心よく了解してくださり、今回は安心して別府の帰路につくことが出来ました。
永平寺から「京福電車」に乗り、福井駅から新大阪・新大阪駅から「のぞみ」に乗り「小倉」から別府までの「列車旅」を終え午後七時過ぎには、別府の町に到着し、その日は「スナック岸」のママに変身していました。
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