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青森・岩手・宮城・静岡編 第五回 平成九年八月三日〜十五日
青森県立図書館の駐輪場に私のバイクは待機しています。「嫌な予感」がいたしました。 テレビのニュースでどこの図書館も子供たちで大盛況と伝えています。
すぐに旅支度にかかり、青森まで飛行機で行くことにきめました。今日は八月三日・青森「ねぶた祭り」の日なのです。大分から羽田まではスムーズに跳び乗ることが出来ました。羽田から青森まではキャンセル待ちです。 一度目は私の前で終り、次の便まで待機です。いったい何時間羽田空港ロビーにいたことになるのかしら? なにはさておき、青森の図書館に到着し、私は「唖然」としてしまいました。バイクは、バンパーはめくれ、あちこち傷だらけにされていたのです。
きっといつ来てもある「べっぷナンバー」のバイクが邪魔でみんなで蹴飛ばしまくったのでしょう。 気持ちを取り直し、一目散に図書館内にある電話帳で、図書館の地名とおなじバイク屋さんを探しました。「中村ホンダ」さんに電話をかけ事情を話し、その方の知り合いのタクシーを図書館によこしてもらい、「ホンダ」のバイク屋さんまで私は行き、つぎにバイク屋さんの軽トラックで私のバイクのもとに一緒に行きました。
「ホンダディオだから部品があるので大丈夫」と私には「神」の声のように、聞こえました。 この時点ではいったい何日かかるか検討がついていない。
今日の宿をきめなければならないが、「ねぶた祭り」のためどこもない。
近くに「ラブホテルならありますよ」というので「ラブホテル」に電話をかけ、タクシーで「ラブホテル」へ。
アーなんでこんなことになるの!
テレビのスイッチを入れると「エッチビデオ」が目に飛び込んで来た。
翌日宿泊代の領収書をもらい証拠にラブホテルとわかる場所で記念写真を撮りました。 バイクは嘘のように元の姿に戻っていました。 「ホンダディオだからよかったのですよ」と言う、ここのご主人の笑顔を忘れることが出来ません。 修理代「四千円」でした。 本来ならば青森からフェリーに乗って北海道を予定していたのですが、急遽東京まで下ることにいたしました。
このことも後になって思うのですが、「母」が、今北海道に行くと毎日「雨」で大変なので、行くことを拒ばんでくれたのでは・・なんて思っています。 取り敢えず盛岡に向かって走りました。国道4号線「道の駅しちのへ」で休憩。高速道路のように道幅が広いため快適に走る。途中「金大一温泉」の看板の前で写真を撮り、「いつかこの温泉に入りに来るからね」と一人ごとをいう。
盛岡駅前にバイクを止め、宿探し。「なかつ旅館」という宿を訪ね、ここに決めました。私の家と畳の色が同じで、我が家にいるような錯覚になりました。 翌日岩手県立図書館に到着し、ここでもとても歓待していただくことができました。
今日は少し風が強い。「突風」が吹くとバイクのハンドルを取られひっくり返りそうになってしまいます。「道の駅石鳥谷」で休憩。 今日の宿は岩手県平泉町「毛越寺ユース」。 到着してユースの近くの食堂で一人の大学生と一緒になりました。彼は自転車で東北一周を予定して今日で二日目だそうです。
「昨日は橋の下で野宿をしたが“蚊”に悩まされ一睡もできなかった」と話てくれました。 筑波大学生で「はじめての一人旅でとても不安だったが、私と出会ったことで、最後まで走り終えることができました」と後に手紙を送ってくれました。 毎年年賀状が届きます。
ユースの良さは同じ旅人どうしが「ミーティングルーム」に集まり「体験談義」が交わされることなのです。私にとってはみんな
「息子や娘」のような若者に交じり、どの人も個性的な旅体験者で時のたつのも忘れてしまう。
ここのユースは早朝「座禅」の体験ができるというので、皆で参加の約束をして眠りに就いた。 昨夜知り合った全員が参加していた。どんなに時代が変わっても「神仏の御加護」を信ずるものなのです。 茶髪の若者も神妙な顔付きで座禅を組んでいました。 身も心もこの座禅のおかげで、スッキリして、記念撮影を済ませそれぞれに別れを告げ、また走りだしました。
宮城県立図書館は今月で新しい図書館に移転するそうで、私にとってはこれも記念すべき図書館に出会ったように思いました。
新しい図書館の資料を館長さんからわざわざ送っていただけたことは私にとってとても幸せなことでした。 今日は仙台の七夕まつりのためにまた泊まる宿が簡単にはみつからない。 白石インター入口に「焼肉ドライブイン」がありそこに入った。 私の前で食事をしている男性に声をかけ私が別府から来たことを話すと「昔はよく十号線を走ったものよ」と懐かしそうに話してくださいました。 この方は長距離トラックの運転手さんで静岡県清水まで夜中に高速道路を走るので、バイクごと清水まで乗せて行ってくれるということで、ミステリー小説のように、私は翌朝に静岡県清水市に到着していたのです。
大型トラックを見るたびに、あの日のことが思いだされます。
この運転手さんに「女一人がこんなトラックに乗り込んで危険に思いませんか?」と質問されました。「もちろん怖いです。でも私は命を賭けてこのようなことをしているのです。一瞬でもよからぬことを考えたりしたりすれば必ず“魔”がさして事故などになるのです。貴方もこのような高速道路を走る時は常に気持ちを正していなければならないことは承知している筈ですよね。」と云う、私の話に「その通りですね。」と言ってくれました。トラック会社に到着して心からお礼をのべ、またバイクの人となり、国道一号線をただひたすら前に進みます。 箱根は霧が深くて一寸ずりで足を地面について進みました。 「箱根やすらぎの森」に到着して、霧が晴れるのを待ちました。行動日記を書き終え二時間ほど待機したが、勇気を奮って前進し、町中に入ると先程の霧など、まるきし嘘のように晴れているのです。今日は親戚の家の予定だったのですが、無理のようなので、大磯駅まで走り、近くの宿を探していると「二十四時間営業の二宮温泉健康ランド」を教えてもらい、今日の宿をここにきめました。
ここでも又風呂上がりに演会場のある食堂で一人でビールを飲んでいました。私の前に二人連れの男性とお話するチャンスに恵まれました。 私はスナックのママという職業柄、だれとでもすぐに親しく話せる特技があるのです。この方たちとの出会いのおかげで、しばらくの間バイクを預かってもらえることになり、翌日はその方の家までバイクで走りました。 綾瀬市にあるお宅はとても立派で、応接室に通してもらい書棚には「松本清張全集」がありました。 仏壇も立派でお参りさせていただき、その上にレストランで食事までご馳走していただきました。 そのレストランで食事中に携帯の電話が鳴り、私は「悲鳴」を上げてしまいました。 お茶の間論文の佳作に入選したとの知らせだったのです。この「原付バイク旅」のことを書いたのです。食事中のお客様に大きな声を張り上げたことをわびると、回りの人が拍手で答えてくださいました。 海老名の駅まで送ってもらい、友人のいる「武蔵高萩」まで電車で行きました。この話は次回にしたいと思います。
二日間東京見学をして翌日バイクを預かってもらっている綾瀬市の方の所に取りに行きました。 地図で見ると「武蔵高萩から綾瀬市」まではたいした距離ではないので、簡単に思っていたのですが、真夏の炎天下で都会の排気ガスの中を全神経を集中してやっと目的の友人宅に到着した時はもう暗くなっていました。 翌日は埼玉県立図書館に行きました。ここでもとても歓待していただけました。 群馬県立図書館で副館長さんに「人生そんなに急いではいけませんよ」とたしなめられたことがとても印象に残りました。
通りがかりの女性に前橋駅を尋ねたら「私も駅まで行くので一緒に行きましょう」と話しながら歩いていると「ちょつとお茶しましょう」と“喫茶店”に入り、いろいろ話をしました。「少し人生に不安を感じていた時に貴方と出会いとても勇気をもらえた」と後にお手紙をいただきました。
その日は浦安にある親戚の家に泊まり、翌日「武蔵高萩から浦安」までバイクで戻り、親戚の叔父さんに「お前はなんて馬鹿なことをしているのか、宗教にでも狂っているのではないか!」とはげしく怒られてしまいました。
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