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千葉・長野・山梨・東京・北海道編 第六回 平成九年八月三十一日〜九月八日
いよいよ北海道めざしていざ出陣。
今回は親戚の家でバイクは待機しているため安心です。飛行機で行くと別府から東京の親戚の家には昼には着いているのです。
親戚の家に着き、すぐに千葉県立図書館へと行きました。 私の自費出版の本はもらっていただくことは出来ませんでした。
のら犬を追い払うように私の話を聞いてくださらないのです。
一人しょんぼり図書館でポーとしていると号外でダイアナ妃の交通事故死のニュースを報じています。私は人の一生なんてはかないものなんだなーと思い、たった今、自分の行動を無視された寂しさとダイアナ妃の事故の事で胸が締め付けられるような深い悲しみが私を襲いました。
翌日は山梨県甲府までバイクで走りました。 今日の夜はオーストラリアで出会ったイギリス人のディブさんと斉五沢さんと埼玉県和光市で逢う約束をしていましたので、私のバイクは甲府の駅前派出所で預かってもらいました。この話しもまたの機会にさせていただくことにして埼玉県から翌日長野県立図書館まで列車で行きました。この時も上野から長野行の列車に乗るのに数分の時間しかなく、上野駅のホームを猛スピードで走りぎりぎりで跳び乗り間に合ったのです。
長野県立図書館ではとても歓待していただきました。「なぜ貴方はこんなことをしているのですか?」とここでも尋ねられ「たった数分間の出会いですが、きっと貴方は私の事を一生覚えていてくださると思うので・・」と答えました。NHKでふるさと自慢「オーイにっぽん」という全国番組に「竹瓦温泉」の前で私が一言「日本全国バイクで走った私だけれどやっぱり別府の温泉が一番!」とテレビで言いました。この長野の方からも「テレビを見ましたよ」と電話をいただきました。 山梨県立図書館は全国図書館大会が今年あるため前会の会場が別府だったこともあり特別私の訪問を歓待してくださいました。
今日の宿は「甲府のユース」に決め、距離勘がぜんぜんわからず、山道をひた走る。
まわりは緑に覆われ、滅多に車にも出会わず、快適と言えば言えるのですが、なにしろ人と車に出会わないのもとても不安なものなのです。だんだん日が暮れ真っ暗やみの中を走りやっとの思いでユースに到着いたしました。山の上の静かな場所にあり泊まり客は私一人でした。 翌日は国道二十号を東京に向かって走ります。道の駅「甲斐大和」で休憩して、恐怖の「笹子トンネル」。このトンネルも長かった。いったいいつになったらこのトンネルから抜け出せるのか?と頭の中にふっと「ダイアナ妃」の「顔」が浮かんでは消える。 なにはともあれ東京に辿り着いた。 不思議なことにとても走り易い。案内板もわかりやすく、路側帯が広い。このことが後にとても道路事情に関心を持つ私になるきっかけでもあるのだが、この時点ではまだ道路の仕組みについての理解はできていない。
皇居の桜田門の前にバイクを止め、写真でも撮ろうとしたら、おまわりさんが血相を変えて私のところに走ってきて「こんなところで貴方は何をしているのですか?」と尋ねられました。「せっかく別府の町から東京に来たので記念写真でもと思ったのです」と私がいうと、急に「凄いですね、そんなことでしたら、派出所にバイクを置いてゆっくり写真を撮りなさい」と言ってくださり、私のことを「とても活き活きとして輝いていて素晴らしい!」と褒められました。インスタントコーヒーを湯飲み茶碗で「ゆっくり飲んでください」と勧められました。忘れることのできない思い出です。「せっかくだから国立国会図書館に行きなさい」と言ってくださるのですが、私は改めて行く予定にしていたのですが、あまりにもこの派出所のおまわりさんが勧めてくださるので、勇気を奮って国立国会図書館に行きました。ここはさすがに今までの体験とは全然違い、警備が厳しく荷物などはなにも持って入れません。
私の自費出版の本があるはずなので、どこにあるか?教えてくださいと係りの人に尋ねると「そこの指示にしたがって調べてください」とぜんぜん取合ってもらえません。途方にくれトイレに入り、鏡をみて「ギョ!」としてしまいました。さきほどのおまわりさんが「活き活きして輝いている」と褒められた私の顔は排気ガスで真っ黒けの顔だったのです。もう穴があったら入りたいと思いました。あわてて外に出て記録写真を撮りたいと思い通りかかりの人にお願いするのですが、なかなか簡単に応じてもらえず、都会の人の冷たさをここでも体験しました。
さーいよいよ北海道を目指します。
先月はいろんなアクシデントのために予定を変更したのですが、もしあの時に北海道に行っていたならば毎日「雨」できっと大変だったのです。これもきっと母が変更に導いてくれたのではと今になって思います。
東京から釧路までフェリーの旅です。
船旅が私は一番好きです。
船の中で駒沢大学の学生さんと出会い住所交換をしました。せっかく私と出会ったので卒業旅行は「別府」にしようときめてくださり一年後に別府に来て下さいました。
旅の醍醐味はこんなことにあるのです。
釧路に着いて道の駅で大きなバイクの人に声をかけられました。
フェリーで一緒だったそうなのです。
東京でパトカーの警ら隊の仕事だそうで、本来は白バイに乗りたかったのだそうです。休暇を取って一年に二回ほど遠距離を走るそうです。毎年バイク旅の報告の写真入りのはがきが届きます。
今日の目的は「オーストラリのタスマニアで出会った」多田さんを尋ねることにしました。この方はタスマニアで星を撮影し、「星の観察クラブ」のリーダーなのです。
北見の駅で待ち合わせ、開口一番「原付バイクでここまで来るなんて自殺行為だね」と言われてしまいました。
私のためにたくさんの仲間を呼んでいてくださり、オーストラリアでの写真のスライド観賞会をしてくれました。たった一枚ですが、私とのツーショットの写真もありました。
写真観賞の後「星の観察」のために車で山に行きました。手が届くようにお星様が近くに見え、ペンライトで星の名前を教えてくれるのです。望遠鏡で土星を見ることができました。流れ星もいくつも見て歓声をあげました。 お星様を見るたびこの日を思い出してしまいます。午前様になっていました。
翌日は旭川に向かって走ります。
道は広くとても快適なのはよいのですが、ガソリンスタンドがないのです。このことは予備知識がありました。 石北峠はお土産屋さんなどがあり休憩所はあったのですが、もう私のバイクはガソリンが無くなっている。大きなバイクに乗っている人にガソリンスタンドを尋ねると「しばらくはないですよ」。と言われ私は青ざめてしまいました。
その時「僕のバイクから少しガソリンをわけてあげますよ」と言ってくださいました。 私はちゃんとスポイドを用意していたのでこれが役にたったのです。 地獄に仏とはこのことです。
なにしろ民家がないのだから不安だ。しばらく走り、またガソリンがなくなっている。 ガソリススタンドが「あったー!」なんとかこれでもう大丈夫。 途中雨にも会いながらの過酷なコースだった。 旭川のユースに到着し、ただひたすら眠りに就いた。
翌日の予定は札幌まで行くことにしている。 今日は月曜日のため図書館は休館だ。でも図書館の前だけでもよいから行くことにした。 北海道立図書館の看板の前でバイク記念撮影をする。 道路が広くて車は少なく快適なため“スピード違反しっぱなし”で予定よりもとても早く札幌に到着してしまい、泊まるつもりだったが、この調子ならば小樽までいけそうだと急遽「小樽」まで走ってしまった。 旭川から小樽まで一日で走ってしまったことになる。 偶然小樽に「米軍の軍艦・インデペンデンス」という戦艦が停泊していたためパトカーなどが多く一寸ずりだった。
石原裕次郎記念館の回りをしばらく散策してフェリー乗り場に到着。
小樽から新潟までの二十時四十分発の船に乗り込むことが出来ました。
*今回はここまでで次回に続きます。
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