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千葉・神奈川・静岡・愛知・岐阜・滋賀・三重・奈良・和歌山・京都・大阪編
第八回 平成九年九月二十八日〜十月六日
全国四十七都道府県のうち二十三都道県を走破した。これからはバイクを預かってもらうことなく、東京から大阪までの体験記。
さーいよいよ後半に入る。 今回は十県の図書館を訪ねることになるため私の自費出版の本が三十冊にもなってしまう。 本はとても重たい。その上先月までの体験記録の資料も積んでいるためにバイクの荷台は前も後ろも目茶苦茶に重たい。余りの重たさに走り出したらお尻を振るので慌てて、荷物の分配に頭を悩ませた。取り敢えず半分はリックサックに入れ私が背負っていくことにした。これでお尻を振ることもなく快適に走りだしました。親戚の浦安の家から何回か走り慣れた国道一号線に行くため国会議事堂方向に向かおうと右に右折しました。ピピピピ!と警察官に前をふさがれました。「原付バイクは二段階右折しなければ違反です」と厳しい口調で叱られました。私は後にも先にも今回のこの日本一周での違反切符の体験はこれだけです。 「あー本当にこんなことで違反切符を切られるのだ・・」と私にとってはこれも体験と良いほうに解釈することにいたしました。
横浜の山下公園でしばらく休憩をして、バイクを置いて中華街を散策した。なにはともあれ「神奈川県立図書館」に向かいました。月曜日のため休館でした。しかたがないので、私の体験記と簡単なメッセージを書いてポストに入れておきました。
数日後せっかく遠路お訪ねくださりありがとうございました、と嬉しい手紙をいただきました。今日の宿は二度目の「二宮温泉健康ランド」。翌日六時にスタート。朝日に見守られ快適に走る。途中木造三階建ての「箱根富士屋ホテル」を見つけた。若い頃の母の写真に写っている木造三階建ての立派な建物はもしかしてこの「富士屋ホテル」?と思い写真と比べるがどうも違うようなので、私のカメラに収めただけで快適に箱根路を走ります。そろそろ「富士道の駅」の標識を見つけ休憩しようと思い信号停止をいたしました。エンジンを切った覚えはないのですが、「プスッ!」とも言いません。何回しても同じです。道の駅まで押して行きました。もしこのようなことがトンネルの中だったりもっと道の駅が遠かったりしていたならばと思うとゾッとしてしまいます。 道の駅で大型トラックの運転手さんに「すみませんバイクの様子がおかしいので見てもらうことはできませんか?」と尋ねました。「プラグがおかしくなっているよ。」「プラグってなんですか?」と私が言うと「プラグも知らないでこんなことしているの!」とあきれられてしまいました。「今からガソリンスタンドに行くのでバイクごと運んであげよう」とここでも地獄に仏の出会いがありました。静岡県立図書館も火曜日なのに休館でした。 でも隣の美術館がやっていたのでそこを訪ね私の事情を説明すると心よく私の本を受け取ってくださいました。さて宿探しはとりあえず最寄りの駅の「島田駅」。駅にバイクを止めボーッとしていたら「このバイクで別府からですか?」と声をかけられました。その方はこの駅の助役さんでした。駅前のビジネスホテルに身を預け、先程出会った助役さんが「これもなにかの縁でしょう夕食をご馳走させてください」と誘ってくださいました。こんな出会いがあるから旅はやめられなくなるのです。
翌日も島田駅前で素晴らしい「ご来光」に手を合わせ朝日に見守られながらいざスタート。磐田バイパスで「二十円」を支払い有料道路を走りました。朝の通勤ラッシュで凄い渋滞です。私は広い路側帯のために渋滞している車を横目で見ながら、スイスイと走ります。このようにどこの道も「路側帯」が広ければいいのになーと思いました。
愛知県立図書館を尋ねる前にそろそろ「タイヤ交換」をしておくことにしました。前輪だけでよかったのです。新潟での釘事件があったのですが、このタイヤはまだ大丈夫とのことでした。愛知県立図書館では担当官の人がとても親切に対応してくださり今でも年賀状のやりとりがあります。この図書館から三十キロ弱で岐阜県だというので、夜道になるが勇気を振るって走ってしまった。ここでも駅前のビジネスホテル泊。翌日は岐阜県立図書館の開館時間より早く着いてしまったので歌で有名な「長良川沿い」を少し走った。
滋賀県立図書館も休館だった。でも職員の方がせっかくだからと「応接間」に私を通してくださいました。お礼を言って外に出ると雨が降り出しました。この雨も母からのメッセージだったのです。もしこの雨が降らなければ私はそのまま「京都」に行ってしまったと思うのです。大津から京都まではたったの「十三キロ」なんですから・・
私の前を路面バスが走っています。「琵琶湖ホテル行き」と書いてあります。母の写真の木造三階建ての建物はもしかして「琵琶湖ホテル?」とこの琵琶湖ホテルに導かれるような何か見えない糸に引っ張られているようでした。雨は思うほど強くはありません。取り敢えず「大津駅前」に宿をとりました。頭の中は「琵琶湖ホテル」のことで一杯です。 早朝琵琶湖ホテルまでバイクで走りました。正面玄関を見て「違う!」と思ったのですが思い切ってホテルの中に入りました。フロントの方に私の本を見せ、母の写真の所を見ていただきました。
その方の表情が瞬時に変わりました。
「貴方のお母様は何をされていたのですか?戦前はこのホテルは迎賓館だったため、民間の人は立ち入ることが出来なかったそうですよ」とおっしゃるのです。そんなわけで私は急に母の過去?を知ることになったのです。 写真の現場を案内していただき特別に「記念史琵琶湖ホテル五十周年」の本を「貴方のような方にこそこの本を与える価値がある」と言ってくださいました。
この支配人さんに今日「ここに宿泊させてください」とお願いすると心よく適えてくださいました。昭和十年の時代と何も変わっていないそうで、母がどうしても私をこのホテルに連れて来たかったのだと納得いたしました。せっかくここまで来ているので「近江神社」まで行くことにしました。記念写真を撮ってもらうため通りすがりの女性にお願いするとまたまた意気投合。今でも手紙のやりとりは続いています。この方とお喋りしている時にバイクの荷物の上に「とんぼ」が止まったのです。母が生前蝶々やとんぼが部屋の中に入ると「仏様が帰ってきた」といつも言っていた。この「とんぼ」は母の化身だとすぐに思いました。 比叡山延暦寺、日吉神社と神仏巡りをいたしました。近江神社では、願い事を長々と手紙に書き奉納したのです。
少し欲張りすぎた願いだったかも、と反省。琵琶湖ホテルでの高級会席料理を一人で頂き少し寂しかった。ベットの中で母の若い時代の顔ばかりが私の瞼に浮かぶのは何故なのかしら? 翌日は雨のためどのようにするか思案した結果バイクをホテルに預け、列車で三重県・奈良県・和歌山県をたった一日で図書館巡りをしてまた大津まで戻ってきたのです。 時刻表とにらめっこして推理小説に出てくるようなとんでもない行動をいたしました。 二日前に泊まったビジネスホテルに再度泊まり、なんだか我が家に着いたような安心感がありました。翌日タクシーで琵琶湖ホテルまで行く。 今日も小雨ではあるがバイクで京都まで走り、図書館に行くがここも休館だった。
京都美術館は「ルーブル展」をやっているため雨の中でもたくさんの人が入って行く。 その後、大阪府立中之島図書館に着ました。 この図書館は歴史的建築物でこの時点では私はまだ特別文化財的建造物などに関心がなかったのですが、もしかして琵琶湖ホテルや京都図書館、大阪府立中之島図書館との出会いが浜田温泉歴史的建造物に関わるきっかけになったかもしれません。 いよいよ大阪南港まで一気に走ります。
「なみはや大橋」を原付は十円支払いスイスイとフェリー乗り場に到着いたしました。大阪十八時四十分出港翌日七時四十分別府着。 半年振りにバイクと共に別府の自宅に戻ることが出来ました。
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